桃尻語訳『日野郡史』

鳥取県西部、特に郡部の方で歴史の壁に直面したとき…
そう、お世話になるのが日野郡史
大正15年に編纂された地方史誌の金字塔、日野郡民のバイブルです。

私の場合は孫四郎橋の時にとうとう避けて通る事が出来なくなりました。
調べ物が一段落した今、家からひっぱり出してきた現物をボンヤリと眺めながら沈思黙考。

それにしても読みづらかったなぁ。
どうせまた使うんだからテキストにでも起こしてみるか?


いやまてよ。
いっそのこと…そうだ!
桃尻語訳にしてくれたまえぽんきちくん!

ええっ?(ものすごく嫌そう)
桃尻語訳 日野郡史


日野郡正史として文献の見るべきものなきを嘆じ、明治四十四年、郡教育會、時の郡長井上廉治氏に建議せしに端を發し、郡長は日野郡史の著者坪倉鹿太郎氏を調査員に任命し、次で専任兼任の委員を擧げ、調査を繼續したること數年、大正八年八月、時の郡視學山本德藏、内藤岩雄、池田茂一郎、宇田淸隆、山田和一の諸氏に委員を依囑し。
各委員は熱心調査編纂に着手せしが、漸く其緒に着かんとするの時、山本郡視学の轉任に亞で、山田委員の殀折を見、而も得たる資料は斷片的にして系統なく、加ふるに經費貧弱、前進閉塞の狀態に陷り、一時史筆を擲ちて沈頓茫然たるものありき。

はい、序文のさわりだけでしたが如何でしたか?

ぱっと見イケそうに見えて、全然意味が頭に入って来ませんでした私は。
という事でやりたまえ、ぽんきちくん。
いいね、桃尻調だよ?
ていうか、いつもの調子でやればそのまま通用するから。

うっさい!
ス~ハ~…(⇦切り替え中)

え~、はじめに💛
日野郡の歴史を知るのにロクな資料が無いからって、郡教育会が郡長の井上さんに何やら意見したんだって。
明治44年のことね?

で、これがきっかけになって郡長さんは坪倉さんを調査員に任命、その他専任だったり兼任だったりのメンバーを就けて調査を続けること数年。

日野郡史編纂室
出典:日野郡史/日野郡史編纂室

大正8年8月になってあらためて、教育行政の仕事をしてた山本さん、内藤さん、池田さん、宇田さん、山田さん達に委員をお願いすることになりました。
やったね☆

ここから伝説が始まるぜ。
みたいな感じで各自盛り上がってきたその矢先…

山本さん転勤。
そして山田さんの早世も重なって、あっダメだこれみたいな雰囲気に。

我に返ってみると、それまで集めた資料って実はバラバラで脈絡が無いとか、予算は少ねーとかで、もうにっちもさっちも行かなくなっちゃって、
「あ゛ーもう無理…やめた!ノ(# ゚Д゚)ノ」
ってならない?
なるよね。

然れども現委員等は、自己の使命は、此史實に富める我郡に直面して、進行を躊躇するに忍びすとなし、燃ゆるが如き強烈なる責任觀念の下に、育英敎化の傍ら、萬難を排し、百折不撓、千挫不屈、鋭進止まさるの慨を抱き、事業を繼續すろこと數年、惜い哉大正十二年の度、郡制廢止の厄に遭ひ、其進行を中止するの止むなきに至れり。

ところが!
「私らの地元ってこんなに歴史でいっぱいなのに、こんなとこでやめちゃうのってダサくない?」
とかなんとか残りのメンバーが妙に盛り上がっちゃって、
「もう仕事が忙しいとか言ってる場合じゃないよ、何が何でもやろうよ!」
って何年か踏ん張ってたんだけど、

…大正12年
…郡制廃止
…\(^o^)/オワタ

大正十三年八月、郡自治協會は、現委員等の考古研鑽に趣味を有し、造詣深遠、加ふるに其の熱心忠實の態度に動かされ、此儘中止未定稿を筐底に葬むるは、我郡の將來に於ける一大恨事となし、更らに同月内藤、池田、宇田の三委員に再囑して、調査編纂を進行することゝなしたり。
該委員等は、有限の經費と匇忙の公職とを以てして、克く無限の大事業に努力を拂ひ、爲に修史の難事業も、漸く系統立つるを見るに至れり。

時は流れて大正13年8月。
郡の自治協会さんが、例の考古学研究を「何だこれ?」って見てみたら凄い内容じゃない?
しかも泣ける話だし。

「このまま忘れられちゃうなんて勿体無いよ!」
ということで、内藤さん、池田さん、宇田さんの3人にあらためてお願いすることになりました。
良かったねー🍵
(´・ω・)(・ω・`)ネー

この3人、予算も時間もぜんぜん無かったんだけど、終わんの…コレ?ってぐらい膨大な作業をとにかく頑張ったもんだから、とうとう形が見えるとこまで漕ぎ着けちゃったのよ。

即ち日野郡野史、舊名家秘藏の古文書類、鳥取縣誌材料、伯耆誌類、其他關係深き各研究物の渉獵に努め、又一面實地山野を跋渉して史跡名勝の探査を行ひ、妄りに斬新奇抜を衒はず、不確の臆説を避け、考證の明確を期し、以て我郡變遷の顚末を闡明にせり。
今や脱稿す、宛も大旱望霓の感なくんばあらず。
實に創始以來十有五年の久しきに亘る、各委員献身的の奉仕に對しては、郡民と共に、深き感謝と敬意とを表するものなり。

どんな感じの内容かって言うと、

日野郡の民間伝承
古ーいお屋敷秘蔵の古文書
県の機関紙
伯耆国だった時代の文書類
その他関係のあるっぽい研究

なんかを、とにかくまずかき集めるわけよ。

で、もちろん読むだけじゃなくて実際現場にも行ってみなきゃいけないし、軽い気持ちで勝手な解釈とかしないように注意しながら、吟味に吟味を重ねんのね?
すると、おぼろげに浮かんできたんです。
いままで訳わかんなかった日野郡の成り立ちみたいなのが。

だー終わった!
もしかして終らないんじゃないかって内心…ううっ💦

始まってから10と1、2…えーと5年だから…うえっ15年?!
がんばってくれたメンバーにはホント感謝してるし尊敬だよ。
地元の人たちだって同じ気持ちだと思う。

本書は、前、中、後の三編に區分し上下二卷に納めたり。
而かも編纂に一種の新機軸を出し、其順序配列の如き、趣味多くして記憶に利便する所甚だ大なるを知る。
眞に本書によりて、我鄕土の敬愛心を喚起すると共に、其の偉大なる歴史の所有者なることを自覺し、之に依りて大に悟り大に發明するを得ば、郡利民福の上に齎す貢献は勿論、郡民性の扶植に向つて、偉大の効果あること深く信じて疑はざる所なり。
聊か本史編纂の經過概要と、所懷の一端とを述べ、以て卷頭の辭に代ふることと爾り。
大正十四年十月
日野郡自治協會長 古橋幸吉

この本は前/中/後の3編に分けて上下2巻に納めてあります。

しかも!
今まで見たことも無いような構成にしてるからウケるよこれ絶対。
あと覚えやすいしね。

ほんとこの本があれば日野郡の事がもっと好きになるし、郷土の歴史に詳しい自分ってなんか素敵じゃない?

ってな感じで最初にちょっとだけ、この本ができるまでの経緯と、それから私の気持ちを伝えさせてもらいました💛
それじゃ。
大正14年10月

ふー、終わりましたけど…
こんなのでほんとに良かったんですか?

バッチリだ。

だってほら序文にも書いてあるじゃないか。
編纂に一種の新機軸を出し、趣味多くして記憶に利便する所甚だ大なるを知る、だよ。
次回以降もこの調子で頑張ってくれたまえ。

意味わかんないし。
わざわざ変な事しなくても、普通にやっちゃダメなんですかね、この研究所は。
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