米子市日野川以西
上安曇堂横の双体道祖神(×3)
上安曇堂
双体道祖神×3基
石に刻まれた祈り2 No.41
上安曇の集落、中ほどにお堂があります。
その隣、山の斜面に危うげなバランスで置いてある2基の双体道祖神がサイノカミでしたが…
令和4年、なんか3基に増えましたね。
出典によると昭和36年ごろまでサイの神祭りが行われていたそうです。
滑らかな駒型っぽい自然石に宝珠型の彫込み、中には半丸彫りの双体神像。
恐らく座像です。
向かって右の男神は笏、左の女神は由布を所持しています。
だよね^^
これには、類型であると思われる依り代があります。
そしてそれらの中では最も洗練されていて新しく見えます。
そのうち新宮神社の依代が、製作年がわかっている中で最も新しい明治廿一年ですので、少なくともそれより新しいであろうという事が推測できます。
類型:おだんごタイプ
方形の切石にコの字型の彫込み、中に半丸彫りの双体神立像。
向かって右の男神が笏、左の女神が由布を所持。
コの字型の母石ってときどき見かけるんですけど…
これって祠の胴のとこじゃないですか?
宝篋印塔の一部を残して祀ってる先っちょ石造物にしても、こういうのをミニマリズムって言うんでしょうね。
所〕いや、それは違うと思うぞ。
なんと、新発見の双体道祖神です。
前回調査(2021-08-21)~
今回調査(2022-06-11)の間、どこかのタイミングで持ち込まれています。
念のため、こちらの依代には出典がありませんのであしからず。
近隣のご老人にお話しを伺ってみましたが、いつ持ち込まれたのかについてご存じではありませんでした。
形状について。
丸四角形の加工石に神前幕の彫込み、中には半丸彫りの双体神座像。
向かって左の女神が恐らく由布を所持、右の男神はわかりません…
保存記録(含残念写真)▼
下安曇阿弥陀堂裏の幸神
下安曇阿弥陀堂
石祠「幸神」
塞神考 No.390
石に刻まれた祈り2 No.40
阿弥陀堂後ろとの事で、てっきり裏手の北平神社にあるものだと思って随分探しました。
随分って具体的にどれぐらいかって?
よく聞いてくれたよ。
なに、ほんの半日程度さ…フー🚬
また、何らかの事情で倒壊したらしく、元々左側にあった筈である子年女の文字が裏面に来ています。
つまり、よりにもよって幸神の面が下になっている訳ですが、これも発見が遅れた原因のひとつ。
それでは言わせてもらおうか。
ス~…
📢その積み方、違
(ゴンッ!)
うっドサッ…
ポイッ⌒🔨
いいじゃないですか、べつに。
石造物なんてそんなもんだし、部外者が無責任にとやかく言う事じゃないと思います。
ちなみに令和3年ぐらいまではまだ何とか見えてたんだけど、今年(R5)はもう草刈り範囲から外れちゃったかも…
でもいいんだ。
まだあたしが憶えてるから!