鳥取県西部を流れる1級河川、日野川流域には当然のようにたくさんの水力発電所があります。
その殆どが水路式という方法で導水し発電を行っているため、取水施設が遠地にあります。
つまり、わざわざ調べない限りどこから水が来ているかがさっぱりわからんわけです。
このシリーズは、諸元や法令なぞ二の次!
各施設の位置と関係、出来れば沿革に触れながら、日野川水系の水力発電施設を俯瞰し、大雑把に分かったような気になる事を目的として書かれています。
第1回目はいきなり難関の黒坂発電所。
それでは始めようじゃないか、ぽんきちくん!
もくじ
はじめに.
鳥取県西部で、目立つ水圧鉄管を持つ水力発電所は当然ここだけではありません。
しかし、最も見応えがあるのは?
と問われれば、この黒坂発電所をおいて他に無いでしょう。
国道を走っていると間違いなく目に飛び込んでくるランドマークです。
また、それぞれ特徴のある取水経路を持つ日野川水系の水力発電施設のなかでも、見劣りしないどころか最も多くの取水設備を持っているのがここ黒坂発電所です。
当然それらの探索が今回のメインとなります。
下図オレンジの色ピン📍を左⇨右の順に、
大宮ダム ⇨ 秋原堰堤 ⇨ 中原堰堤 ⇨ 菅沢堰堤 ⇨ 久住堰堤 ⇨ 鵜の池
といった感じで辿っていきす。
大宮ダム
日野川水系で、意識して調べない限りどこで発電してるのかさっぱり想像もつかないダムNo.1の大宮ダム。
まぁ川平堰堤も新川平堰堤も旭堰堤も、名前を伏せれば同じようにさっぱりわかりませんが。
ここでいったん集めた水が、総延長約8.6kmの導水路を遥々辿りながら、後述のいろいろな取水施設で少しずつ水量を増し鵜の池へ。
最後にそこから黒坂発電所にダバーッと水を落として発電しています。
貯水池名称 | : | 大宮調整池 |
ダム所有者 | : | 中国電力 |
堤高 | : | 16.768m |
堤頂長 | : | 68.50m |
提体積 | : | 8,000㎥ |
総貯水容量 | : | 495,000㎥ |
土砂吐 | : | ローラゲート×1門 |
洪水吐 | : | クレストにストーニーゲート×2門 |
施工 | : | 奥村組 |
完成 | : | 昭和14年 |
堰堤改築記念碑
続日南町史
電力土木技術協会データベース
などより。
おまけ.導水路と調整池
大宮ダム北西すぐのところで露出している導水路の一部がこちら。
今は枯れている人工池が付帯しています。
恐らくですが沈砂池と、隧道前で流量をサージするための調整池を兼ねていたんではないでしょうか。
令和3年現在、完成から80年以上経過したコンクリートはダメージを蓄積しながらも、まだ水路としての機能をギリギリ維持しています。
限りなく廃っぽく見えますが現役です。
秋原堰堤
聖滝へ向かう山道の入り口付近にあります。
大宮ダムへ行ったり来たりするとき、必然的に往復することになる阿毘縁菅沢線。
その途中に聖滝の案内看板がありますので、ここだと知っていれば特に迷うという事は無いでしょう。
柵があって、堤体に肉薄出来ない作りになっていますので堰堤についてはこれぐらいにして…。
おまけ.水路橋と3層の立体交差
水路橋のお話をしましょう。
(0゚・∀・)ツヤツヤ ⇦ 水路橋が好き
取水堰があるという事はそこは沢になっています。
沢があるという事は、導水路はサイフォンでも使わない限り勾配を維持したまま、どうにかしてそれを突破する必要があるので…まぁ大抵橋を架けることになります。
という事で、
上の写真が阿毘縁菅沢線と並走する枯れ沢を、
下の写真が秋原川を、
それぞれ跨ぐ水路橋です。
特に上の方は三層の立体交差になっていますな、ホクホク!
中原堰堤
国道180号線の脇にあります。
なので、この道を往来する人たちの目に入らない筈はありません。
しかしこれが、はるか遠くにある黒坂発電所の取水施設だと誰が想像するでしょう。
⇧知らなかった
水力施設を俯瞰しながら紐付ける、という今回の調査意図を実によく表した堰堤だと云えます。
道を挟んで堰堤の反対側、
- 中原堰堤で堰き止めた水を(⇧)から取水
- 中原川の流量を維持するため(⇦)排砂ゲートから一定量放流
- あくまで余水を発電用として(⇩)手前に導水
- 氾濫時(⇦)の越流提で洪水調節
おまけ.中原水路橋
それではここも水路橋いってみましょう。
(0゚・∀・)テカテカ✨
中原川と国道180号線を跨ぐ水路橋は非っ常に良く目立つ構造物です。
恐らく地元で見たことが無いという人は少ないのではないでしょうか。
そう、これが黒坂発電所の導水路です。
⇧やっぱり知らなかった
続日南町史には、
中原集落にある水路橋
中原水路橋
以上2種類の表現で表記されていますが、通りがいいのでもう中原水路橋でいいんじゃないでしょうか。
菅沢堰堤
中原堰堤とソックリですね。
ダムとしての機能を維持するための要素が収れんした結果自然とこうなるのか…
恐らく日本全国に数えきれないほどあるんでしょうね。
こういうユニット化したような取水施設。
おまけ.導水路
そして菅沢川を跨ぐ水路橋は…
ありません。
交差してないからです。
その代わり、菅沢堰堤の少し手前にある怪しい露出部がこちら。
水路幅、水量共に黒坂発電所の導水路で良さそうなんですが、地理院地図に書いてある水路の一点鎖線から外れているので判断に迷うところです。
しかし全行程を隧道と水路橋の最短距離でつないである…、といったかんじのなんとも豪勢かつ非現実的なイメージよりは、適宜山腹水路がミックスされていると考えた方が自然ではないでしょうか。
また気が向いたら歩いて確認してみます。
久住堰堤
日野川水系、数ある取水施設の中でも神秘のベール度No.2!
道が整備されているので到達困難という訳ではありませんが、とにかく場所がわかりにくい。
ぽ〕えっ、じゃNo.1ってどこですか?
次回、日野川第一発電所で紹介する釣谷川取水口だね。
それも断トツで。
話を戻そう、いまここです。
少し見えにくいですが、冬季は全量取水、春から秋は全量放流とのこと。
0か1かのわりと極端な水利使用方針。
取水施設については以上です。
それではいよいよ因縁の調整池、鵜の池についてお話ししましょう。
Gallery
鵜の池
黒坂発電所、及び下黒坂部落の直近にして遥か山の上。
小さいながらも曲線的で、何とも言えず美しい堤体に名前はありません。
それにしても、よくぞここに水を溜めようと思ったなぁ…
右図は地理院地図より断面を取らせていただきました。
ほぼ直下にある黒坂発電所との有効落差は184.4m、まさに天空のため池です。
鵜の池は、大正元年まで灌漑用のため池として、下黒坂部落がこぢんまりと管理、所有していました。
そして現在の形になったのは昭和14年、第二次世界大戦の真最中です。
今しれっと27年飛びませんでした?
うん、その間…ていうかその後もゴチャゴチャしているみたいでね。
そのへんも含めて調べてみようじゃないか。
場所はこちら。
先ほども述べた通り黒坂発電所のすぐ手前、最後の調整池です。
それでは以下、鵜の池の成り立ちを知るために集めた情報を手当たり次第に引用していきたいと思います。
最後のほうでまとめます。
その昔、隣の村に卯野左内という浪人が住んでいました。
その娘のお藤が友達と一緒に池のほとりでわらび取りをしていたところどうしたことかこの池に落ち溺れ死んでしまいました。
その娘は本当に賢い器量良しだったので、村中の物が泣き惜しみました。
その時母御の申されるには
「私は前の夜、不思議な夢を見た。お藤が白い顔をして私は今、下界に生まれて来ているけれど、元来天上の神としていなくてはならないものだ。といって姿を消した。」
と言うのです。
この話は、池に落ちたとき、まっさおな池の上に雪のような白い顔を上げて、岸に立っている友達に、にっこり笑って沈んでいった最後の姿と似通うものがあるので、とうとうお藤を神様として祭ることになりました。
それ以後、この池を卯野左内にちなんで卯(鵜)の池と呼ぶようになりました。
気の毒なお話しですね。
あくまで伝承ですので真偽の程は定かではありませんけど、とりあえず名前の由来がわかりました。
でも…、単にカワウの飛来地だったからじゃな(モゴッ)
そこまでだ!
君はもう少しTPOというものをわきまえてくれ。
次、堤体を渡ってすぐのところに堰堤改築記念碑があります。
ここに彫ってあるのは、人造湖である鵜の池の所有権とそれにまつわる紛争の歴史です。
ここ、鵜の池の堰堤をはじめ、大宮ダム、またそれらを結ぶ導水路など様々な関連施設の成立年代と、その経緯を知るために有用な情報が記されていますので、以下に書き起こします。
鵜の池返還記念
一、コノ池ハ我々ノ祖先カラ、古来幾多ノ危険ヲオカシ、年々歳々、堰堤ヲ築造シ、飲用灌漑等ノ多目的ニ使用シ今日マデソノ維持管理ヲシテ来タ
一、大正二年法令ニ依ル部落有財産統一ニヨリ旧黒坂村ニソノ使用慣行ヲ永久ニ認メル条件ノ下ニ寄付シタ
一、大正十一年時ノ山陰電気株式会社ト旧黒坂村長トノ間ニ発電事業ノ契約ガ行ワレタ
一、昭和十五年七月 日本発送電株式会社ニヨツテ発電開始トナツタ
一、昭和二十七年旧黒坂町ヨリ一部池敷(新湛水敷)ガ無償払下ゲトナツタ
右ノ経過ニヨツテ旧池敷ハ合併日野町ニ引継ガレ町有ノママトナツテイタ
昭和四十六年ヨリ部落民ハコノ部落固有ノ財産ノ払下ゲニツイテ町ニ陳情シ数多ノ困難ヲ重ネ昭和五十四年日野町議会ノ払下ゲ決議ヲ得タノデアルガコノ執行ハ容易デハナク 町議会 部落トノ折衝ノ結果十年間ヲ要シ昭和五十六年十二月二十四日町議会ニオイテ政治的解決トナツタ 部落ハ鵜ノ池周辺林野六五三〇九㎡ト現金五〇〇万円ヲ町ヘ寄付スルコトヲ条件トシテ旧池敷一六三(・?)六三六㎡ノ払下ゲヲ受ケルコトトナツタ次第デアルガ部落ハ涙ヲノンデコノ条件ヲ受ケザルヲ得ナカツタノデアツテコノコトヲ子々孫々ニ伝ヘルベク茲ニ記スモノデアル
なんやかんや言って現代文ですので、読むのに苦労はしません。
が、もう少しだけ情報を整理して年代順に並べてみますと…
古来 | : | 下黒坂部落が維持管理をしていた |
大正 2年 | : | 部落有財産統一/入会権整理の達示により旧黒坂村の所有となる |
部落に、これまでどおりの使用を認める条件付き | ||
大正11年 | : | 山陰電気株式会社 ⇔ 村長、間で発電事業の締約 |
昭和15年 | : | 日本発送電株式会社による発電開始 |
昭和27年 | : | 旧黒坂町から一部(新ため池部)が(部落に)無償で払い下げられる |
旧ため池部は町有のまま | ||
昭和46年 | : | 旧ため池部の払い下げを町に陳情 |
昭和54年 | : | 町会議による払い下げの議決 |
未執行 | ||
昭和56年 | : | 払い下げの執行 |
昭和56年の払い下げ執行は、【周辺林野65,309㎡】【現金500万円】との交換条件にて行われました |
うわー…。
ただ事でねーなこれは。
部落有財産統一については、他所でも紛争の種になっているようで研究されている案件がチラホラ見つかりましたよ。
接収ともいえるようなこういった事例はいつ誰に起こってもおかしくはないんでしょうが…、さぞや残念だったでしょうね。
特に、ちょっと便利な社会インフラどころではなく水利権に直結する事案ですので、命にかかわると言っても過言では無かったのかもしれません。
その後昭和15年、日本発送電による発電が行われていますので、このときまさに本来の意味での接収となります。
また、大宮村⇔廣島電氣らによる金銭授受の記録について。
一金 五百円 廣島電氣株式会社
昭和十三年十月十一日 提出
昭和十三年十月十一日 可決
広島電機株式会社が黒坂発電所工事施工の関係上、村道菅沢道の一部を改修方出願されたので承認可決。
昭和十四年度大宮村に対し、広島電機株式会社(七〇〇円)、奥村組(二〇〇円)、清水四郎左衛門外七名(三〇〇円)より寄付の申し出があり、収受することを可決。
大宮村議会書綴
これらの事から続日南町史では事業主が広島電機であったという結論に至っています。
次に日野町誌。
第二章 地勢、地質/地勢/池沼
代表的なものは、町の中央北寄り、下黒坂と下榎の間にある鵜の池である。
かつては下黒坂部落約20ヘクタールの灌漑用水のみに使っていたが、昭和14年広島電気株式会社(現中国電力株式会社)はこれを発電に利用しようとくわだて、印賀川の水を、日南町吉だたらのダムに湛え、隧道を通してこの池に導き、さらに下黒坂方面は50メートルのえん堤によってかこみ、一大貯水池とした。
黒坂発電所の資料によると、日南町地区からの水路延長8,480.42メートル、満水時の高さは海面上405.878メートル、水深約12メートル、有効容量1,822.700立方メートル、192メートルの落差によって、根妻地内で出力15,000キロワットの発電を行っている。
これは県下最大規模のものである。
なお現在鵜の池は、本町の最有力な観光資源として開発が予定されている。
黒坂発電所
広島電気株式会社(現中国電力株式会社)は昭和11年秋から着工して、昭和15年7月黒坂発電所を完成し、12,000キロワットの送電を開始した。
淡々とですが、此処でも広島電気が一連の施設を整備したという情報が手に入ります。
奇しくも日本発送電発足の年、まさか竣工の翌年に接収される事になろうとは予想だにする事ができなかったに違いありません。
それでは上記、堰堤改築記念碑の年表に、日野町誌、そして廣島電氣沿革史等から知ることのできる各社の関係する出来事を重ねて、もういちど整理してみましょう。
古来 | : | 下黒坂部落が鵜の池を維持管理していた |
大正 2年 | : | 部落有財産統一/入会権整理の達示により鵜の池は旧黒坂村の所有となる |
大正11年 | : | 山陰電気 ⇔ 村長間で発電事業の締約 |
大正15年 | : | 廣島電氣 ⇔山陰電氣、合併 |
昭和11年 | : | 廣島電氣が発電施設の開発に着手 |
昭和14年 | : | 廣島電氣が大宮ダム、鵜の池の堰堤、及びそれらを連結する隧道を完成させる |
昭和15年 | : | 日本発送電による発電開始 |
昭和26年 | : | 日本発送電解体、中国電力設立 |
昭和27年 | : | 旧黒坂村から鵜の池の一部(新ため池部)が下黒坂部落に払い下げられる |
旧ため池部は旧黒坂町有のまま | ||
昭和34年 | : | 根雨町と黒坂町の合併により日野町が発足 |
昭和56年 | : | 日野町から下黒坂部落へ、鵜の池旧ため池部払い下げの執行 |
因みに、大宮ダムから菅沢堰堤に至るまでの施設群、及び黒坂発電所と鵜の池の堤体部については、水利使用標識や地誌などの記述から中国電力が所有しているとわかります。
ところが碑文の内容からすると、新旧のため池部は紆余曲折のすえ下黒坂部落へ払い下げられた事になっています。
水利権っていまどうなってんですか?
そこだがね!
まぁ維持流量について何らかの取り決めがあるんでしょうが、少なくともパッと見たところダムの開度や水利使用のルールなどが見当たりませんでしたので、第三者的にはちょっと調べた程度では分からない、としておきます。
誰か教えてください。
⇧最低
黒坂発電所
以上の諸元は、電力土木技術協会様より許可を頂き、2014.09.01時点での入力を元にそのデータベースを引用しています。
いまのとこわかる限りの沿革については鵜の池のとこで書いたから、諸元と写真を貼って今回はおしまいにします。
次回は日野川第一発電所やるね。