薮津橋

鳥取県日野川周辺の廃土木と交通史

鳥取県日野郡の黒坂から米子方面に向かって少し走ると、いいかんじの廃橋が姿をあらわします。
薮津橋と言います。

この橋単体でも十分面白いのですが、近隣に広がる難所「寝覚狹」にまつわる交通の変遷は、文書として残されている江戸時代末期にまで遡って確認することができ、これがまた実に面白い。

回数未定にてお送りするシリーズ『日野川周辺の廃土木と交通史』
第1回目は、初代及び二代目薮津橋の紹介と、その架橋地点にまつわる謎に迫ります。
それでは始めようじゃないか、ぽんきちくん。

一人でやってもらえませんか?
鳥取県日野郡日野町の廃橋、薮津橋

もくじ.

第1回 薮津橋 ⇦いまここ
二代目薮津橋について       
錯綜する情報、初代薮津橋の痕跡  
遺構① 橋脚
遺構② 基礎
遺構③ コンクリート平板'ズ
遺構④ 薮津の崖の支柱基礎
遺構⑤ 二代目直下の支柱基礎
遺構⑥ 石積みの橋台
情報① 孫四郎橋の研究
情報② 県技術企画課ページ
おまけ 岩田の崖の支柱基礎
結論、初代薮津橋の架橋地点    

第2回 孫四郎橋

第3回 未定

二代目薮津橋について

薮津橋の橋名板
2022-09-11

令和3年現在、日野郡で我々が日常的に目にすることができる微妙に古い土木構造物の一つとして、二代目薮津橋があります。

鳥取県日野郡日野町の廃橋、薮津橋
2022-04-02

昭和24年5月に竣工し、現在は車両通行止め。

土木遺産認定の候補にあがるような年代の構造物ではなく、かといって現役でもない。
言ってしまえば只の廃橋です。
このような、
華々しい話題性や
維持する理由も特に無いけどそこにある
といったかんじの実存主義的な構造物が私は大好…

所長の変な趣味とかはどーでもいいんですけど、二代目薮津橋は竣工してから…えーと、
70年以上が経過しています。

んで、老朽化して車両の通行が全面的に禁止されたのは昭和63年11月。
(日野町史続編、2019)
つまり橋としての寿命は40年弱ってことになりますね。
これってどうなんですか?

二代目薮津橋の欄干
撮影:2022-04-02

短いね。

因みに、国土技術政策総合研究所の『道路橋の寿命推計に関する調査研究』によると、1941~1950に架設されたコンクリート橋の機能的陳腐化と物理的損傷による平均寿命は、標準偏差を20として60年だそうです。

場所はこちら。

錯綜する情報 初代薮津橋の痕跡

『日野川今昔(立花書院 1999)』より初代薮津橋
『日野川今昔(立花書院 1999)』より初代薮津橋

二代目薮津橋ができる前、この場所で両岸の往来を支えていたのは、明治18年に木造の下路式トラス橋として建設された初代薮津橋です。

鉄筋コンクリートで作られたその橋脚は、現在も残骸(下記、遺構①として川岸に横たわっており、当時の姿をほんの少しだけ偲ぶことができます。

しかし、付近に転がっているのはそれだけではありませんでした…。

遺構① 橋脚

二代目薮津橋の直下にある橋脚遺構
二代目直下の橋脚遺構/2022-04-02

上述のとおり二代目薮津橋の足元に横たわっています。

現存する写真で確認することが出来る初代のシルエットとも一致しており、少なくともこれだけは初代の橋脚遺構で間違いありません。

そして、もしも見つかった遺構がこれだけであったなら、話はとてもシンプル。
ああ、以前ここに別の橋があったんだなぁ、で済んでいたはずなのです。
ところが…

遺構② 基礎

遺構①の下流20m辺り、右岸にあります。

それぞれ凡そ幅1m×長10m、2基のコンクリート製直方体が岩盤に打設してあり、1基には残留している木柱の基部が確認できます。

薮津橋の下流にある橋梁下部構造の基礎
2022-04-02

どこからどう見ても橋梁下部構造の基礎で間違いないこれらが、
何故遺構①下流にあるのか?
今回の話が混乱する事になった最も大きな原因です。

そして以下、混迷の度はさらに深くなることに…。

遺構③ コンクリート平板'

遺構②の更に下流の右岸、20m辺り。

薮津橋の周辺にある廃コンクリート平板
2019-05-25

因みに遺構①②よりコンクリートの肌理は細かいです。
更に因みに、あくまで撮影した場所に固まっているに過ぎず、これらは付近でぱらぱらと散見されます。

袋で売ってる割れチョコみたいですね🍫
あれらがぜんぶ床板だったとしたら、木造トラスで支えるのはちょーっと難しいんではないですかね。

遺構④ 薮津の崖の支柱基礎

薮津橋の上流にある支柱基礎の遺構
支柱基礎の遺構/2020-01-26

二代目薮津橋の上流50m辺りの地点に人工的な穴があります。

φ40~45cm程度の穴が1m前後の間隔で5つ×2段。
また、対岸(左岸)にも同程度の穴が4つ確認できました。

そして実はこの遺構についてお話しようとすると大変なボリュームになりますので、いっそのこと記事を分けてしまいます。



はい、いま嫌そうな顔をした人、
あとで職員室まで来なさい。

遺構⑤ 二代目直下の支柱基礎

二代目薮津橋直下の日野川左岸(伯備線側)すなわち遺構②の対岸に数えきれないほど見つかる穴。

二代目薮津橋直下で見つかる支柱基礎の遺構
2020-03-01

円形・方形など形状は様々、サイズもまちまち。
遺構④も含めて、何らかの支柱基礎という事でよいでしょう。

遺構⑥ 石積みの橋台

二代目薮津橋の口伯備線側、下流の方向に向かってすぐ隣に謎の石垣があります。

薮津橋の下流側にある石積橋台の遺構
石積の橋台 2020-04-04

今架かっている二代目薮津橋の構造かとボンヤリ考えてしまいそうになるほど微妙な位置ですが、別件の構造物でしょう。
遺構③、廃基礎の方を向いているように見えます。

情報① 孫四郎橋の研究

次頁に登場する『孫四郎橋の研究』で初代薮津橋は二代目の200m程度川下に図示されており、かなり距離があります。
また序文にもそのように述べられており、以下図版も含めて一部引用します。

孫四郎橋の研究より、寝覚狭周辺の俯瞰図
(孫四郎橋は)明治19年の大洪水に流失した後は再建されず、この橋の少しばかり上流の地に通称薮津橋とよばれた永久的な橋が架せられて近年に至り、昭和廿四年にこれが廃せられて、更にその上流に新橋が架せられた。
孫四郎橋の研究(1965)

情報② 県技術企画課ページ

鳥取県技術企画課の公開しているページによると~

「初代薮津橋」の橋脚が現橋脚基礎部に残ることから、全く同位置に架橋されたものと思いこんでいた。
しかし、現地をよく見ると20mほど上流の岩渕に、明らかに人為的なものとわかる穴が2つ掘られている。
この位置が「初代薮津橋」の架橋位置と見て間違いなさそうである。
鳥取県技術企画課/歴史的・文化的土木建造物等の資料/K-9 薮津橋

おまけ 岩田の崖の支柱基礎

これはおまけ。
何故ならおおよそ正体が判っているからです。

二代目薮津橋のある薮津の崖から500m程下流にある岩田の崖。
ここに残っている支柱基礎は天保二年、渡村の有力者舟越孫四郎の指揮により完成した初代孫四郎橋をはじめとした一連のシリーズのものだと考えられます。

岩田の崖の支柱基礎
岩田の崖の支柱基礎/2022-09-11

日野川右岸(国道側)に多数。
対岸にもいくつかの穴が見えますが未確認。

これらについては次回『孫四郎橋』にて詳細を述べます。

結論、初代薮津橋の架橋地点

以上のように初代薮津橋の架橋地点については、手掛かりとなる情報・痕跡ともに位置がまちまちで、決定打がありません。

状況を整理しましょう。

鳥取県日野郡日野町の廃橋、薮津橋
鳥取県日野郡日野町の廃橋、薮津橋
2020-03-01

もはやこれら錯綜した情報をこねくり回して、延々と推測を重ねていても埒があきそうにありません。

そこで、現存する写真と現地の地形を見比べるべく左岸に降りてみます。
途中、普段なかなか拝む機会のない左岸(伯備線側)からの景観を楽しみながら、岩壁を伝って証拠写真の撮影地点を探します。

伯備線を横切ったら絶対にダメですよ?

念のためお断りしておきますと、本調査は橋の突き当りから崖を下りるルートを使用しま…

いや、崖を下りたの僕だから。
君は携帯いじりながら上から眺めてるだけだっ(ゴンッ)
うっ、ドサッ…
そして見つけた場所がここ⌒🔨ポィッ
『日野川今昔(立花書院 1999)』より初代薮津橋
『日野川今昔(立花書院 1999)』より初代薮津橋

でもって探していた場所はここ。

岩の配置とかから、だいたい同じ場所だろうって思います。
焦点距離が違うのは…、まぁいいっしょ。

この2枚の写真を比較することによって、やっぱり初代薮津橋は遺構①
つまり、
二代目薮津橋と同じ場所に架かっていた
っていう事になります。
所長…(ユサユサ)
終わりましたよ、起きて!

所〕えっ?あれ、フガッ。

ぽ〕その他の候補地について補足しないといけませんからお願いしますね。

所〕そうなの?
なんでだろう、頭が痛い。
えーと…

遺構② 基礎
遺構⑥ 石積みの橋台

未完の五代目孫四郎橋であると私は考えています。
孫四郎橋を存続させたい
という舟越家四代目孫右衛門のこだわり

と、
山田通信県令の着任
及び県臨時会の決定
が契機であると考えられる日野郡縦横道路改修計画

の恐らくすれ違いによって、結果的に未完となってしまった悲劇の橋です。

薮津橋の下流にある橋梁下部構造の廃基礎 決して美談ではなかったかもしれない初代薮津橋建設の経緯は、孫四郎橋についての予備知識が無ければ読み解くことができません。
もし、このシリーズを続ける元気があれば第3回以降の記事になると思います。

遺構③ コンクリート平板 '

薮津橋の周辺にある廃コンクリート平板 コンクリート道路か歩道の産廃かなんかではないでしょうか。(ホジホジ…、適当)
ぽんきちくんも前述している通り、その目方からして木製トラス橋である初代の床板と考えるのは難しいと思います。

遺構④ 薮津の崖の支柱基礎

薮津橋の上流にある支柱基礎の遺構

これは難しかった…。

余程頑張って組み立てないと伝わらないですので、上述のとおり次回の話題にします。

遺構⑤ 二代目直下の支柱基礎

二代目薮津橋直下で見つかる支柱基礎の遺構

遺構②④⑥について、その由来を明らかにすることによって消去法で推測範囲を絞り込むことが出来るでしょう。

これも元気があればまた今度。



…ここまで話すと、ぽんきち姫は朝の光が輝くのを見て慎ましく話をやめた。
すると、召使いの所長は言った、

なんとぽんきち姫のお言葉は楽しいのでございましょう。

ぽんきち姫は答えた、

けれども、もし私になお命があって、王様が私を生かしておいてくださるのならば…

明晩お話し申し上げる『孫四郎橋』に比べましたら、この話などまったく何物でもございません。

えっ、突然なに?
1,000回も続かないし、インドの話でもないんだけど…

それでは更に時代を遡りまして、次のお話は江戸時代に創建された伝説の橋『孫四郎橋』について。

第2夜『孫四郎橋』へ続く

ご来場ありがとうございました。
もしよろしければ…

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