鳥取県西部の道祖神・サイノカミ
米子市日野川以東
米子市日野川以東
本殿右にあったとされるコガの木がサイノキだったようです。
今はありません。
実は今も立派なコガの木(たぶん)が生えていますが、資料に残っているものとは樹姿が異なります。
この事から、サイノキが失われていると書いたのですが、さて何か他に手がかりはないかいな… (゚Д゚≡゚Д゚)?
本神社は住古より此地に鎮座ありて衆庻の崇敬する所たり
然るに明治41年懸令を以て神社整理の規定を示達せらる
此時本社は社殿の構造基本金境内地等一として此規定に副すものなし
乃ち村民之が存廃置を謀ること屢次なるも荏苒決せざること久し
官廰よりは荐りに合祀すべきことを促され遺憾の状に堪えず
是に於いて一同奮起して貮千七百金を醵出に基きて諸般の設備を完成したれば大正7年7月5日懸知事より存立の認可を得たり
即ち一千金を基本金に蓄積し且更に社殿の造営社地の櫎張をなし以て従來の如く永久此所に鎮座あらせらるることとなりたり
因て茲に事の梗概を叙す
大正8年4月6日/社地内由来書きよりそのまま
要点を抜き出すと、
明治41年
⇨神社整理の県令により存続の危機
⇨お金を出し合って建て替え
大正7年
⇨県知事より認可
となりますが、写真が撮られたのはその後ですので関係なし。
よって、
サイノキは森納氏撮影後、現在までのどこかで失われた
これ以上は、手元の資料では絞り込めないという事がわかりました。
…新発見でもなんでもありませんね。