米子市日野川以西
堰が切れる。
平野部に住んでいて聞きたくない言葉のかなり上位に来るのではないでしょうか。
どこの川でもそうなのでしょうが、破堤リスクの高い地点というものはあるもので、ここも古来より治水の最前線にある場所でした。
記録にある限り、隣の三宝荒神が流されるほどの水害を二度も経ており、国交省及び近代土木技術のおかげで随分安全になったとはいえ、まさに切実ともいえる霊的な対策が幾重にも施され、今でもその片鱗を見ることができます。
ここら辺では、くちなわさんを毎年作る地区がそもそも珍しいのと、あと明確に力を入れておられるのが伝わってきますので、区外者といえどもワクワクします。
虫送りは、火を炊いてあぜ道を練り歩く…といった形ではなく、お焚き上げをすることでふんわりと兼ねていると、区長さんの談。
取り敢えず7月1日とされていますが、前後の一斉清掃の日程に合わせて開催されますので、もしも興味のある方がおられたら、6月末近辺に先乗りすると日程が拝殿に掲示されているはずです。
また、例祭である秋の申し上げ祭り(くちなわさん)については、勤労感謝の日固定です。
時間は、こちらも拝殿に貼り出されますので。
以上、ご参考まで。
皆生八代荒神社
この神社は皆生八代荒神社といいます。
創立年代は、天正年間(1573-1591)といわれていますが、詳らかではありません。
皆生(海池)村の開祖、八幡新兵衛はじめ、私達の先祖が、心血注いで開墾するうえでの、こころの依り所として、村の上に祠、神社を建立したものです。
荒神さんは多くの村で祭られている神で、文字通り荒ぶる神、粗末に扱うと祟られると、恐れられている神です。
それだけに誠意をこめて祭ると、村人のために全力で災難を防ぎ、豊作をもたらし、村を栄えさせてくれる頼もしい神といわれています。
八大荒神さんは、この荒神と、水の神(八大龍王)が合体して出来た神であろうといわれています。
暴れ川であった日野川の川口に、八大荒神が祭られた心情は痛いほどよくわかるところです。
八大の大が一般的なのですが、ここは八大のだいは"代"と書かれています。
諸説がありますが、古文書など歴史資料が少なく推測の域を脱し得ません。
それだけ由緒深い鎮守の森の神つやしろ(神社)なのです。
くちなわさん祭り
くちなわさん祭りは、当社祭日11月28日(現在は11月23日、勤労感謝の日)に、祝い歌「愛宕舞い」を歌いながら、わら蛇"くちなわさん"を作り神社に奉納する祭りです。
その昔には、他の村でも行われていたのでしょうが、現在、米子市内では唯一当神社だけが行う祭礼行事です。
蛇の長さは、祠を七巻半(約30m)の長さに作り、尻尾にわら製の海亀を添えます。
つまり、この合体した"くちなわ"と海亀の形態は、鳥取県内では当社だけに見られる独特なものです。
この地が半農半漁の暮らしを営んでいた現れです。
日野川の洪水によって、田、畑、農作物の被害が出ないようにと"くちなわさん"に祈り、皆生の海が静かで漁ができるようにと海亀を作り、奉納しているのです。
この"くちなわさん"は、翌年の7月1日の虫送りの日に焚き上げられます。
昔は荒神祭の日に甘酒の壺を社地内に埋め、翌年掘り出して酒の減り具合を見て来年の豊作を占うようなこともしていた事でしょうが、その名残が当社には残っていて、祭りの最後には、壺に神酒を入れ、祠の下に埋めて皆生の地の1年間の安全加護と、五穀豊穣を併せて祈願するものです。