米子市淀江町
荒神を祭った石祠が奇跡的なバランスで立っている今津荒神社。
隅の方にある2基のサイノカミは、淀江町最北端の依り代です。
実は石造物を写すのに晴天は恨めしかったりすることがあるのですが、ここは向き、背景など様々な条件が揃い晴れの日が圧倒的にお勧めです。
隣にヤギおるし。
依り代について(右)
大きな自然石に円形の彫込み、中には双体神立像が線刻されています。
向かって右の男神は笏、冠、浅沓とバッチリ神主姿…かと思いきや、どうやら佩刀しています。
また背後に見えるのは矢筒でしょうか。
どうやら貴人のようです。
左の女神は扇を所持しています。
依り代について(左)
自然石に四角い彫込みのある立派な神殿が彫刻され、その中に双体神立像が浮彫りされています。
向かって右の男神は笏を持ち、修験道の兜巾をかぶっているように見えます。
更に珍しい事に左の女神が所持しているのは…シャモジでは?
いや、気のせいか。
こんなところでおしゃもっさんなぞが見つかったら大問題だもんな。
真面目な話、こちらの依り代は西尾原荒神社の依り代2基と類型、すなわち烏帽子タイプですので、女神の所持物は神楽鈴である可能性が濃厚…だということになります。
類型:烏帽子タイプ
荒神について
余談ですが、こちらの荒神社の主役である祠について淀江町誌に記述がありますので、該当箇所を引用させていただきます。
荒神さん
字村内にある。
昭和二十四年今津橋のたもとから現在地(元屋敷)に返し祭ることにした。
地内のサイノカミ、常夜灯もそのときに迎えたのであろう。
昭和五十七年十二月二十七日、村中の寄進で鳥居を新しく建て直した(大工 灘脇時雄)。
荒神講
今津には持ち運ぶ荒神の小社がある。
享和二年(1802)十月、今津村では田口久右衛門が願主となって三宝荒神の小社を造った。
五〇年後の嘉永五年(1852)十二月には田中六郎兵衛宏年(のちの松波徹翁)が本願主となって小社を再建した。
今も講中により祭られている。