米子市淀江町
にしょはら。
米子市内では亀甲神社に次ぐサイノカミの密集地。
計6基もの双体道祖神があります。
若い衆の腕っぷしが余程強かったんだろうなぁ…、などと変なところで感心したり。
ちょっといろいろ言いたいことはありますが、まずは順番に依り代の説明からしましょうか。
3社の石祠に向かって反時計回りに行きます。
依り代について(11時)
不定形自然石の前面を整えてうっすらと神殿を浮彫り。
中を深く彫り込んで双体神立像が半丸彫りされています。
向かって右の男神は笏を、左の女神は扇を所持。
少し自信がありませんが岩立神社の双体道祖神と類型のデザインだと思います。
依り代について(10時)
不定形自然石の前面を整えてくっきりと神殿を浮彫り。
中を彫り込んで双体神像がやはりくっきりめに浮き彫りされています。
解釈が分かれるかもしれませんが、向かって左の女神が扇を所持しており立位。
右の男神が座位であり所持品は…うーん、何かスイカぐらいの大きさの丸いものを抱えているように見えますが、わかりません。
いずれにせよ、とても珍しい図案だと思います。
依り代について(8時)
🍙型の自然石に円形の彫込み。
中に双体神立像が線刻されています。
向かって右の男神は鼻高の猿田彦命。
佩刀のうえ短剣、もしくは笏を右手に所持。
と、いう事は左の女神は天鈿女命。
所持品は…、わかりません。
依り代について(7時)
まずは真面目にコメントしましょう。
中型不定形自然石の前面を整えて神殿の線刻。
中に双体神立像が線刻されています。
向かって右の男神は佩刀したうえで笏を、女神は神楽鈴を所持しています。
と、建て前はここまでとして、やはり何といってもユルい。
私が独断と偏見で決めた
米子市内ユルいサイノカミランキング3位
です。
おめでとう🎉パチパチ!
ただ、このユルさにしてわりと珍しい小物である神楽鈴を所持しているという点に着目すると、どこかに手本とした図案があるんでしょうね。
インスピレーションにまかせて神楽鈴はまず出てこないと言えるほどに、扇と宝珠の所持率が圧倒的ですので。
類型:烏帽子タイプ
依り代について(5時)
何気に珍しい丸彫りの双体道祖神。
現存している数が少なく数えるほどしかありません。
それにしても穏やかできれいなお顔ですね。
じわじわと好きになります。
特徴としてわかるのは向かって右の男神が笏を持っている事ぐらいなのですが…
頭部の置き手拭いみたいな三角の造形が気になる。
※うっかり八兵衛のアレ
そう言えばひとつ前で紹介したユルいサイノカミ⇧ですが、原型があったのではないかとつい先ほど書いたばかりです。
…
…これですな。
頭の置き手拭いを決め手として、意識して見てみると服装、女神の髪型などいちいち特徴が一致します。
よって男神が佩刀している事、及び女神の所持物が神楽鈴であると推測することが出来ます。
類型:烏帽子タイプ
依り代について(4時)
ねずみ荒神
配置的に西尾原荒神社の主役だと思われる3社の石祠。
淀江町誌に記述がありますので、該当部引用します。
じゃぁここで講を開いたらねずみ講ってことにな…(モガモガッ)
ふー、何を言い出すんだ君は。
もう少し考えてものを言ってくれたまえ。
4基から6基に増加
聞き取り調査など行っていませんが、参考にさせていただいた淀江町誌には、サイノカミが4基とあります。
また、塞神考(森納、1990)でも4基。
そして24年飛んで淀江みちくさ手帖(2014)では6基になっていますので、上記4時及び5時の依り代が1990-2014の間のどこかで持ち込まれたことになります。
あくまで資料のみからの推測ですのであしからず。
サイノカミ行事について
ここでは2020年まで藁馬を供える行事が行われていました。
2022年12月、行事が見たくて出掛けてみたところその様子は無く、代わりに最後の総代をなさっていた男性からお話をお聞きすることができました。
部外者の私が「残念だ」というのはとても簡単なのですが、地域内で血の通った伝承を行うというのは本当に大変なのだと思います。
今までおつかれさまでした。