新印のサイノカミ
米子市日野川以東
米子市新印(しんいん)には4ヶ所、計5基のサイノカミさんがあります。
まず下新印、新印神社の石祠。
次に上新印、曹洞宗圓福寺の立石と多賀神社の石祠。
そして一部の辻堂横にある幸神と自然石ですハァハァ多いな。
ちなみにこれら下新印、上新印、一部は旧新印村から分かれた集落です。
寛政元年、日野郡新印村にあった慈光寺というお寺がこの地に移った事を起源として、新印村という名前になったそうですね。
ふるさと米子探検隊(2022.3、米子市立図書館)より。
新印神社の石祠
新印神社
石祠
塞神考 No.363
石に刻まれた祈り2 No.25
ふるさと米子探検隊 第24号
依り代について
さて、
幸神 石宝殿一尺三寸四方
祭神 猿田彦大神
と、安政2年の神社改帳に記されているそうなのですが、この文書から読み取る事の出来る依り代って
・石宝殿
・中の神像
・その両方
のうち、いったいどれなんでしょうね?
私なんか大雑把ですので、猿田彦を祭神とするサイノカミで石祠と神像があったら「そりゃ中身だろう」とか思うんですが、どうやら祠っぽいんですな。
祠の台石正面には、
文政四年 巳ノ 九月吉日
願主 内田彦三郎
人夫 村中
また左側面には石工 利左エ門と彫られています。
他所の依り代もこれだけしっかりと彫っておいてくれると助かるんだがなぁ。
曹洞宗圓福寺の立石
禅宗のお寺さんがあるとついつい探してしまいませんか…?
戒壇石。
依り代について.
無地の自然石。
本堂向かって7時方向、辻のカドにあります。
行事などが行われているのかどうかは確認できていません。
米子市内で仏教寺院内にあるサイノカミと言えば、淀江の吉祥院のほか何気にここだけだったりします。
多賀神社の石祠
依り代について.
文字など特に刻まれていません。
道路拡張のためこちらの神社に移されたそうです。
随分昔からバランスが危うく、針金で巻いてあったりしたそうですが現在はそれすら無し。
奇跡の力で立っています。
閑話休題.
一部堂横の幸神と自然石
依り代について.
良ーく見てみると幸神の文字が半ば埋もれていますので、路面がもっと低かったんじゃないでしょうか。
また、森氏の調査時にはあった花立と献花は今は無く、行事の有無についてはわかりません。
そこそこ交通量がありかつ狭い三差路のカドに自然石が2基、片方は「幸神」、2基共にサイノカミです。
いやしかし…、立地的にいけず石以外の何物でもな(カット)